バチェラー4に出演して注目を浴びたシンディこと桑原茉萌(まほ)。
「どうせ私がNo.1」という自信満々のキャッチコピーがすごく印象的ですね。
そんな桑原茉萌さんは実はすごい努力家で、今までの数々の仕事でNo.1まで駆け上った経歴を持っています。
この記事は以下の内容を紹介します。
- 桑原茉萌さんのプロフィール
- あだ名が「シンディ」の理由
- 18歳から仕事の経歴とNo.1エピソード
Contents
桑原茉萌(シンディ)のプロフィール
- 本名:桑原茉萌(くわばら まほ)
- あだ名:シンディ(Cindy)
- 生年月日:1997年6月19日
- 年齢:24歳(2021年11月時点)
- 出身:宮城県
- 星座:ふたご座
- 職業:インフルエンサー、タレント
桑原茉萌さんは宮城県出身で、1997年6月19日生まれの24歳です。
まだ24歳の若さだけど今までの人生で様々な経験を積んできました。
バスガイド→歯科助手→夜職を経て、
2021年7月タレント活動をスタートしました。
そんな桑原さんが今まで歩んできた道を紹介します。
あだ名「シンディ」の由来
桑原さんのあだ名「シンディ(Cindy)」の由来は、シンデレラが大好きだったとのこと。
シンディの名前の由来は”努力は報われることを証明する”というストーリーが大好きなディズニー映画「シンデレラ」から拝借。
ちなみにシンディという名前を使い始めたのは、
六本木のバーレスクというダンスクラブで働き始めた頃です。
この記事はここから桑原茉萌さんの呼称を「シンディ」に統一しますね。
桑原茉萌(シンディ)の経歴を時系列で紹介
さて、本題に入ります。
「今まで全てにおいてNo.1をとってきたからこそNo.1にしか興味がない」というシンディは、
どのような経歴を持っているか気になりますよね。
シンディは異色の経験の持ち主で、今まで
- バスガイド
- 歯科助手
- 大宮キャバクラ嬢
- バーレスク東京ダンサー
などの仕事をしていきました!
異色の経歴が理由でインタビューされたり、テレビに出演したりすることもあり、《家ついていってイイですか》と《マツコ会議》に出演していましたね。
なぜシンディがこんなにも多様な仕事を積極的にチャレンジしてきたかというと、彼女自身の持病が理由でした。
2015年:18歳の夏に病気で手術を受けた
18歳・高校三年生の夏に、
シンディは30cmの卵巣腫瘍の手術を受けました。
高校を卒業した後、
シンディは定期検診を受けながらバスガイドとして就職したが、
しばらく経ったらバスガイドをやめることを決意させた出来事が待ち受けていた。
2015年〜2016年:バスガイド時代
18歳のシンディはバスガイドとして就職しました。
バスガイドの仕事トークでお客様と交流して喜んでもらえて、楽しくやっていたと。
しかし、しばらくしたらシンディの持病が再び悪化しました。
バスガイドの仕事は忙しく、覚えることもたくさんあって毎日の睡眠時間は2、3時間くらいだったそうです。
仕事のストレスで悪化したか不明だけど、
これをきっかけにシンディは
「一度きりの人生でやりたいことを全部やろう」
と決意しました。
2016年:歯科助手時代
バスガイドの次に選んだ仕事は歯科助手です。
しかし、歯科助手の仕事は周りと同じようなことやっていてつまらないと感じていたそうです。
そして、人生を充実させたいという思いから、
シンディは思い切ってキャバクラ嬢に転身しました。
2017年〜2019年:大宮キャバクラ嬢時代
ここから、シンディのシンデレラストーリーが本格的に始まりました。
大宮のキャバクラで働き始めたシンディは、
かわいい外見とバスガイドの仕事で培ったトーク力と対応力を発揮し、見事にNo.1まで駆け上ったのです。
キャバクラ嬢だからお客様から高価のプレゼントをもらったりするのですが、
お客様にも日々の感謝の気持ちを伝えたいということで、お客様の誕生日にはHERMESを購入してプレゼントをしていたそうです。
もらって当然という考え方ではなく、ちゃんと恩返しをする。
シンディのしっかりしている人柄が垣間見えますね。
また、「お客様には失礼だから働いている間は彼氏作らない」というポリシーもあったそうです。
プロ意識が高くてストイックで、No.1になるのも納得できますね。
2019年5月〜2020年11月:バーレスク東京ダンサー
バーレスク東京
— やまこ。(ポン吉。)ポジティブ楽しい! (@yamacomaco) May 23, 2019
新人のシンディちゃん#バーレスク東京#スーパーバーレスク pic.twitter.com/1GGOep1reo
2019年5月、シンディはキャバ嬢を卒業して、バーレスク東京のダンサーになりました。
「シンディ」というあだ名もバーレスク時代から使い始めました。
バーレスク東京に入ったきっかけは憧れの方からのスカウトだったと。
ミュージカルが好きだったこともあるんですけど、直接のきっかけはスカウトでした。憧れていた「バーレスク東京」のRioさんが声をかけてくれたんです。でも私、ダンス経験がなかったんですよ。
「実は今までダンスの経験がなかった」というシンディは、それでもバーレスク東京に飛び込みました。このチャレンジ精神と行動力がすごいですね。
猛練習した結果、シンディはバーレスク東京のセンターに立つことができました。
バーレスクに入ってわずか1ヶ月の頃に盛大な誕生日イベントが開催されたほど、まさにNo.1の勢いです。
また、シンディのファンへの対応が評判で、男性のファンも女性のファンもたくさんできて、大人気のダンサーになりました。
2019バーレスク納めしてきました
— しゅうや (@osigakyawa14) December 29, 2019
昨日の推しです
今年はシンディのおかげで楽しく過ごせました。茨城から一緒にバーレスク行ってくれる人がいなくて、さびしんでぃ🥶してた僕にシンディ推しの人や常連さん紹介してくれて、今では行けば必ず知ってる人に会うぐらい知り合いが増えました! pic.twitter.com/z8gV2ncI5T
バスガイド時代で培った経験がシンディの人気につながったとも言えますね。
「シンディー!!」って声援が飛んでくると、存在価値を認めてもらっているんだなって嬉しくなります。踊りは経験者に勝てないですが、バスガイドで培った接客や愛嬌で私のファンを増やせたら嬉しいですね(笑)
バーレスク東京での仕事はシンディにとっても非常にやりがいのある仕事だったそうです。
しかし2020年11月に、シンディは突然にバーレスク東京を卒業すると発表しました。
あれだけ人気があったシンディが卒業イベントも行わないで突然卒業した理由は気になりますが、
「バーレスクとの意見の相違」と書いてあったので、運営との意見が合わないからやむを得ずに卒業したのかな、と想像しています。
2021年7月〜現在:インフルエンサー、タレンド
色んなことをチャレンジして困難を乗り越えたシンディは、2021年7月からタレント活動を始めました!
私、小さい頃から人に認められたり、目立つことが好きで。「いつかテレビに出てみたい」と思っていましたし、芸能界にも興味を持っていたんですよ。
引用元:ORICON NEWS
小さい頃から芸能界に興味があるというシンディがいよいよ芸能界を目指して動き出します。
タレント活動を本格的に始めたシンディはいま有料のファンサロンを運営して、YouTuberとしても活動しています。
シンディを応援したい方、ぜひチェックしてみてください!
今までNo.1の経験を積んできたシンディは芸能界で花を咲かせることができるでしょうか?
『バチェラー・ジャパン』シーズン4では早々リタイアしてしまったけど、今後もテレビの出演が増えそうです。
どんな活躍っぷりを見せてくれるか期待しています!
最後まで読んでいただき、ありがとうございまいした。