伯桜鵬に改名した落合!相撲界の若手の番付や幼少期に迫る

伯桜鵬に改名した落合!相撲界の若手の番付や幼少期に迫る

令和の怪物と呼ばれた若手力士、落合哲也さん。2023年に伯桜鵬に改名、横綱の座へ向けてますます躍進しています!今回は、相撲界の若手の番付や、伯桜鵬の幼少期について紹介します。

相撲界の若手の番付は?

若手力士の躍動で沸き立つ近年の相撲界。2023年8月31日に左肩の古傷の手術を受けた伯桜鵬は一時幕下まで陥落したものの、現在は十両八枚目となっています。

他の若手力士の中では、現在21歳の熱海富士が幕内の東前頭筆頭の座についています。23歳北の若は2024年3月時点では幕内の西前頭十四枚目の位置についていましたが、2024年5月現在は十両五枚目となっています。

伯桜鵬の幼少期は?

落合哲也さんはいつから相撲を始めたのでしょうか。伯桜鵬は2003年8月22日、鳥取県倉吉市で生まれました。小学一年生の頃からサッカーを行っており、ポジションはフォワードやキーパー。ただ、小学四年生の時に「桜ずもう」という大会に出場、優勝したことをきっかけに相撲を本格的に始めました。

さくら相撲は倉吉市出身の元横綱、琴櫻関を称える相撲大会です。伯桜鵬が通った倉吉市立成徳小学校は琴櫻関の母校でもあるんですよ。そのため、伯桜鵬は琴櫻関を自分の小学校のスターと讃え、「学校の前に銅像がある」「血がつながってないけど、近い存在にいたような感覚があって」と語っています。

“令和の怪物” 伯桜鵬。独自取材で見えた19歳の素顔。強さの原点はサッカーで鍛えた下半身と吸収力|FNNプライムオンライン

伯桜鵬の経歴

ここからは伯桜鵬の経歴について紹介します。

高校時に高校横綱のタイトルを得る

鳥取市立西中学校を経て地元の強豪校、鳥取城北高校に入学した伯桜鵬。2年次、3年次の高校総体では高校横綱のタイトルを獲得しています。3年次に出場したアマチュア日本一を決める大会「全日本相撲選手権」では、高校生として11年ぶりのベスト8に進出しましたよ。

スピード感ある取り組みが武器の伯桜鵬。高校時代は体重が140キロ程だったそうですが、なんとその体系で50m走を6秒7で走ったそうです!伯桜鵬の強さの源は、サッカーで鍛え上げられた軽快な足さばきにあるのかもしれませんね。

高校卒業後、実業団横綱へ

高校卒業後、伯桜鵬はすぐにプロ入りはせずに右肩の手術を受け、相撲浪人して怪我を治すことに専念しました。後に父親の会社である「有限会社野田組」に所属、全日本実業団相撲選手権大会で見事優勝し実業団横綱となりましたよ。

その後、元横綱の白鵬関(13代宮城野)の誘いを受け、大相撲の宮城野部屋に入門。2022年12月1日の日本相撲協会理事会で幕下15枚目格付出での入門が承認されました。

史上最速で十両昇進

初場所の2023年1月場所では幕下15枚目格付け出し力士として史上二人目の7戦全勝優勝、1月25日の番付編成会議では史上最速で十両昇進となりました。

その後、新十両から2場所連続での二桁勝利を成し遂げ、7月場所からは四股名を「伯桜鵬」に改名することとなりました。伯は地元、鳥取の旧国名、伯耆国から、桜は桜ずもうから、鵬は師匠の現役時代の四股名から取られていますよ。7月場所では新入幕優勝こそ逃すも、敢闘賞と技能賞をダブル受賞しました。

手術からの再起へ

デビューから善戦が続いた伯桜鵬ですが、8月31日に左肩の古傷の手術を受けることに。本人は「番付が落ちても構わない」「しっかりと傷を治して横綱という目標に向かってまた上がりたい」と語っています。

2024年の1月場所で実戦に復帰、6勝1敗という成績を残すと、3月場所では8勝7敗という成績を残しました。なお、宮城野部屋が2024年4月以降無期限で伊勢ヶ濱一門預かりとなったこともあり、伯桜鵬は現在伊勢ケ浜部屋へと転籍しています。

最後に

今回は相撲界の若手の番付や伯桜鵬の幼少期、経歴などについて紹介しました。怪我に苦しみながら、横綱を目指して日々邁進している伯桜鵬。これからの活躍に要注目です!